2013年03月11日

3.11で思ったこと。偽善者の価値ある行動





フェイスブックから

「3.11 黙とうの呼びかけ」というイベントの招待状が

友達からきた。




内容は、名前のとおり、

「みんなで黙とうしましょう

どんな場所でも、いつでも、

自分のタイミングでいいからみんなでやりましょう。」と。




僕は、

「なんかここで参加ボタン押すのが恥ずかしいな」

と思ってスルーしてしまった。




そして、ダメなことに、

その呼びかけをした友人にも

なんかいい人ぶってて嫌だな、とも感じてしまった。




その友人が、

学生時代のもう何十年も会っていない、

学生時代でさえもそんなに親交の深くない友人だったから、

余計、そう感じてしまったせいもある。




そして、時間がたって、

そんな自分がダメだと思った。




僕の周りにも、休みの日に、

東北の被災地に実際に行き、

ボランティアに行った人は何人かいる。




そんな友人たちは素直に尊敬できる。




でも、SNSやブログで

情報を発信するだけの人。




僕は、そんな人は、

偽善者という色眼鏡で見てしまっていた。




そうなると、

実際こうして、このような内容を書いている僕も、

自分が定義した‘偽善者’の仲間入りである。




でも違う。




たとえフェイスブックでそんな情報を発信した友人が偽善者としても、

その友人は、ちゃんと情報を発信するという行動をした。




その行動によって、

情報を発信したことによって、

その情報を受けた人の中から、


「そうか。黙とうしなきゃな。

いや、黙とうするだけじゃだめだ。

実際に現地に行かなきゃ」


と、行動する人が現れるかもしれない。




その可能性は十分にある。




それが実現すれば、

その友人の行動は、

一人のボランティアを生み出したことになる。




もっといえば、

それがきっかけで現地にボランティアをした人は、

もしかしたら、ずっと東北に住むようになり、

事業を興し、その事業によって、

その地域の経済は発展し、

雇用も大きく生み出すかもしれない。




そんな可能性はあるのだ。




だから、行動をおこした、

僕がいう偽善者として見てしまった、

SNSで情報を発信したその友人の行動は

それだけで価値があるのだ。





心の中で、「大変だ」とか「かわいそう」だとか

「政府は何やってんだ」とか思うだけでなにもしない、

ネットで情報を発信する人たちを

偽善者とすこし斜めに見る人は、

なんの可能性も生まないのだ。




たとえほんとの偽善者だとしても、

なにもしない人よりはましだ。


偽善者は行動を起こし、

価値を生み出す可能性をつくるから。




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タグ:時事
posted by ケン モリ at 22:55| Comment(0) | 現代社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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